海豹の27 犬吠岬の燈台

  犬吠岬の燈台

 第三紀層の砂岩の上につっ建った、まっしろの犬吠岬の燈台が見え出した。岸辺を洗ふ大きな濤が、額縁のやうに海に輪廓をつけて、暴風雨の後の風景を愛らしいものに見せた。
 表で、広瀬と卯之助が、大吠岬の燈台を見ながら銚子の噂をしてゐる所へ、松原はのこのこ機関室から這ひ上ってきた。
『おッ! 犬吠岬の燈台が見えますなア』
 誰にともなく、松原は、どす太い声でいうた。そして、また次の言葉をいふ前に目を据ゑて、西北西の水平線を睨んでゐた。
『おや! あの船は坐礁してるな、昨夜の暴風雨にやられたんぢゃな、ありや外国船に違ひない。燈台目懸けてやってきて、あしこでのし上げたらしいなア』
 驚いた口調で機関士の松原は、咋夜の暴風雨の甚だしかったことを説明するやうにいうた。勇も、それとなく気がついてゐたが、船の進航がたゞ遅いこととのみ考へてゐた。しかし機関士に注意せられて、坐礁してゐることを知った。
『この辺りは、寒流と暖流が合ってゐる処ですからね、日本の近海でも一番危険な処ですよ。天祐だなア。我々の助かったのは』
 アルコールで焼けた皺くちゃな皮膚の上に、小さな痣が、沢山ついてゐる額の上を日本手拭で拭きながら、松原は自分の怠惰を弁明するやうな口調でいうた。岸が近くなったので、油さしの鈴木までが、デッキに上ってきた。
『船長さん。銚子の入口には一の岩と二の岩かおりましてなア、その間を通らんと暗礁が沢山ありますから危いですぜ。私はよく知ってまんね。ずっと前に串本の船に乗ってきたことがおまんね』
 無線電信の塔が見えだした。頼みもしないのに、油さしの鈴木は、機関室の方は放ったらかしておいて、利根川の川口を説明し出した。
『右に大分繁華な街が見えますやろ。あしこは、もう茨城県の方になってゐて、銚子の向ひ側になって居りますね、波崎といひましてなア、銚子程ぢゃありませんが、遠洋漁業に出る船が沢山居りますぜ』
 船は女夫ケ鼻を過ぎて。利根川の川口に入った。
『そら、この岩の処を行かんと危いですよ』
 鈴木は、水先案内のつもりで、一々舵の収り方を勇に教へた。そして実際、厄介者の鈴木でも、こんな時には役に立つといふ印象を勇に与へた。一の鼻、二の鼻を通ると、本銚子の家々が川岸に沿うて、ずらりと並んでゐるのが見える。紀州勝浦港などとは違って、だゞっ広い川を利用した港だけあって、どことなし、締りがないやうに村上勇には感じられた。然し、川口に入ると、もう波は少しもなく、まるで鏡の上を走るやうな気がした。昨夜からの暴風雨で、多くの漁船は沖へ出なかったと見え、五十噸級の和船型の鮪船や、底引きに出る大型の発動機船が、岸とは九十度の角度に並んで、船首(みよし)をみんな川の方に向けてゐた。沖が荒れてから、初めて入航した船であったものだから、漁師仲間も珍しがって、大勢、岸壁の処へ見物にやってきた。
 卯之助は手早く、操舵室の横のウィンチ(起重機)を利用して、大きな鮪を陸揚げする手配りをした。
『よく漁れたなア、こんな暴風雨に』
 漁師同志がそんなにいうてゐるのを、勇は耳にした。親切な銚子の漁師は、『もう明日の朝の市でなければ、金はくれんなア』
 そんなに忠告してくれるものもあった。岸には、紺の筒袖を着た漁師や、縞の法被を着だ漁師が、かれこれ三十人位も立ってゐたらう。その中の一人の者は、アメリカの船が坐礁してゐるのを見たか、ときく者もあった。
 油さしの鈴木が、操舵室にやってきた。そして、
『医者に行くから。金を五円貸せ』
 というた。然し、あいにく勇は、三円しか金を持ってゐなかった。それで彼は、鈴木に答へた。
『ちよっと待ってくれ、鈴木君。水産会社へ行って。鮪を買うてくれるかどうかきいてくるから。そして金を融通してくれたら君に貸してやるよ』

  水産国難

 その時はもう午後の二時頃であったが、勇はすぐ、小さい川にかかった橋を渡って、路次の奥にある水産会社に廻った。勇が事情を話しすると、水産会社の役員は、快く金を融通してやるといってくれた。然し、規定として水揚げ代の七分だけを、県外の船から徴収することになってゐるから、さう理解してくれといひ渡されて、勇は、やゝ驚いた。それで、その理由を訊き質すと、地方の者には五パーセントを課し、銚子以外の者には、同じ県内の者でも六パーセントを回し、他府県の者には、何人に限らず七パーセントを課してゐると聞かされて、開いた口が塞らなかった。その時、勇は大声で
いうた。
『たまらんですなア。これは仕方がないですが、政府もどうにか考へてくれんと、二匹や三匹の鮪をとってきたものは、殆ど税金に倒されてしまひますなア。船には税金がかゝる、魚には税金がかゝる、網には税金がかゝる。港には税金がかゝる、定置漁業権には税金かかゝる、漁業の鑑礼には税金がかゝる、その上所得に税金をかけられるんぢゃあ、漁師は儲けっこありませんなア。同じ日本の海からとってきたんですから、銚子で売らうと、何処で売らうと、税金を同じやうにしてくれんと、遠洋漁業には出られませんなア』
 さういふと、水産会社の事務員も、
『全くです、御同情します。我々も毎日、魚を預ってゐてさう思ってるんです。然し、今日の日本の政府に、全く海のことには暗いですからなア、止むを得ませんよ』
 さういひながら、事務員が十円札三枚を持ってきて、勇に手渡してくれた。勇がその金を貰って。将に水産会社を出ようとすると、入違ひに、百人ばかりの漁師が、仕事着の儘、水産会社に押掛けてきた。何事が起ったかと、村上勇は暫く立って、その様子を見てゐた。すると一人の青年が、水産会社の受付の小窓を開いて、事務員に呼びかけた。
『丹羽安蔵はこちらへ来てゐませんか?』
 事務員が否定的な答をすると、大勢の者は、手分けして、広い水兪会社の構内を隈なく探した。勇は一旦、表に出て、比較的おとなしい顔をしてゐる若い漁師に尋ねてみた。すると、その青年は、簡単にこんな答をした。
『打瀬(うたせ)のやらうが、根こそぎに何でもかでも海の底を掻き荒らしてしまふものだから。我々「かけ廻し」の者が、もう食へなくなったんですよ』
 それだけいって、その男は、水産会社の奥へ這入って行ってしまった。頬被りをした年寄連中が、二、三人煙管に火をつけなから、暢気さうに戸口の処に立ってゐたので、勇はまたそこへ近寄って、事情を尋ねた。
『―いや、なにさ、こゝにはな、鯛の延繩をしてゐたものが十七艘あったんだがな。打瀬がさ、親も卵もみな漁ってしまふものだから、第一に鯛の延繩をやってる人間が食へなくなったんだよ。それで、打瀬を持ってる人間に、二、三年も前に交渉してな、あまり陸地に近い処は、かきまはさんやうにしてくれと頼んだけれども、あいつらはあいつらで、やはりあまり沖へ出ては魚がとれんと見えて、陸地へこっそり寄って来るんぢゃて。そこで、こんどまた四十艘ばかりある打瀬網の小さい奴がな――こゝでは「かけ廻し」っていっとるがな、そいつが、もう食へんといひ出したんぢゃ。そして、よりより協議して、打瀬と区域をきめたんぢゃが、向ふの方が船も大きいし、数も多いしな。六十艘あるんぢゃ――みな相当金持が持ってるんぢゃ。そいつが、どうしても約束を守らんので、とうとう「かけ廻し」の船の者がさ、もう堪忍袋を破裂さして、昨日、とうとう向ふの船を襲撃したんぢゃ。そのために、昨日三十人ばかり、此方の者が、警察へ引張られてるんぢゃ。それで今日はな、その収下運動をしようと思って、大勢よって、あちらこちらの有力者を訪問して廻っとるんぢゃ』
 その話を聞いて、勇は、日本の漁業にも、階級的闘争が、だんだんと深刻になって行きつゝあることを深く感じた。
 秋風は利根川の水面をなめて。岸辺のほが、銀色の穂を揃へてゐた。それを見ながら、船に帰った勇は、この行詰った日本の漁業問題をどうかして救はなければならぬと、いろく考へてみた。日はだんだん西に傾いて、虫の鳴く声が遠くの方から聞えて来た。