海豹の42 海の精の最期

  海の精の最期

 勇は幸ひ、背中の傷が比較的浅いので、出血は止まらなかったけれども、卯之助の運命が気づかはれたので、彼を探すために艫に廻った。然し、卯之助はそこに居なかった。勇は、白洋丸を一巡して卯之助を探した。然し、何処にも卯之助の姿は見えなかった。そこへ、血塗れになって、卯之助が、ジャンク船から帰ってきた。彼は肩先をピストルで射貫かれてゐるらしかった。噴水のやうに、血が白襦袢の上から滴ってゐた。
『おゝ、卯之助! 探してゐたんぢゃ!』
 と勇が声をかけると。
『大将、もう大丈夫です! 敵はみな、やっつけてしまひました』
 といふなり、白洋丸のデッキの上に打倒れた。
 卯之助が倒れた傍には、最初の卯之助の一撃に銃殺された二十五、六の背の小さい海賊が死んでゐた。
 勇はまるで、夢のやうに、その光景を見て、我自らを疑ったが、もう殆ど事切れになってゐる卯之助の体を抱上げながら、
『おい! 卯之助! 卯之助! 気をしっかり持て! ……おい! 勇だぞ! 卯之助!』
 と連呼した。卯之助は、軽く頷いたが、返事をしなかった。ジャンク船は、ぽんぽん爆発しながら燃え出して、傍にゐることがもう危険になった。卯之助がどんな働きをしてきたか解らぬけれども、勇がか背伸びして、ジャンク船の艫を見ると、そこに二人の水夫がピストルで撃たれてゐた。二人とも卯之助にやられたらしかった。敵はもうそれ以上甲板には居ないと見えて、燃えてゐるジャンク船のデッキには人影が全く見えなかった。
 それを見た勇は、小林に命令して、敵の船と白洋丸を繋いだ綱を解かせ、出来るだけ速かに、火の粉を被らないやうに、ジャンク船から遠ざかることに努力した。機関室に潜んでゐた富山と味噌は、デッキへ飛上り、敵の船の燃えてゐるのを見て、『万歳!』を連呼した。その時、船底に隠れてゐた広瀬和造と、髪だけは石川五右衛門のやうに刈込んで、如何にも豪傑らしく見える最も臆病な川端治介が船底から逼ひ出てきた。古屋が二人の顔を見て大声で笑った。勇はそれを止めた。小林と古屋はまた相談して、操舵窓に死んでゐる海賊の死骸と。デッキの上に死んでゐる年の若い海賊の死骸を海の中に棄てた。
 それからみんなで相談の上、卯之助の死骸を氷詰めにして、高雄まで持って帰ることに決めた。小林は、船底に敷いてゐた板を外してきて枠を作り、それに、日覆に使ってゐたキャンヴァスを張り、氷をその中に入れて。卯之助の屍をその中に納め、また氷を両側と上に詰めて、恭しくそれを艫に据ゑ、その上を日の丸の旗で蔽うた。
 あまりの衝撃に、一同の者は、何か何だかさっぱり見当が付かなかった。まるで海の上で狐に化かされたやうな気がした。勇はあまり悲しくて、涙さへ出て来なかった。正午になって、朴が時間通りに飯が炊けたと皆に知らせてきたが、誰一人食はうといふものは無かった。昂奮しきった乗組員は、機関室に居残った鳥井と、操舵室に入って一人考へ込んでゐる勇のほかは、全部艫に集って、朝の経験を幾度となしに繰返し繰返し、語り合ふのみだった。
 船は三日口に高雄に着いた。そして、勇が、柱とも頼んだ忠実な助手堀江卯之助の屍が、火葬場で荼毘に付せられた。卯之助を失ってから、勇はもう沖に出る勇気が無くなった。彼は口にこそいはなかったが、卯之助を海の精のやうに考へてゐた。卯之助は謙遜で、柔和で、寛容で、而もその上に無口で辛抱強かった。勇は小さい時から、卯之助に可愛がって貰ひ、彼の父以上に親しみを持ってゐた。彼は、忠実といふことを、卯之助に於て初めて発見してゐた。それで、卯之助と別れては、もうがっかりして、鮪釣りを考へることさへ厭になった。それに一つは、海賊と戦った時に斬られた傷口が、手当ての悪いために膿んできたので、入院する必要が出来た。それで彼はその事を電報で紀州にいうてやった。そして自分はすぐに入院した。
 入院してから八日目に、紀州勝浦から。船主の伊賀兵太郎がびっくりしてやって来た。そして、病気が良くなり次第、船を紀州に廻してくれてもよいと、親切な返事をしてくれた。
 勇が退院して。再び白洋丸に帰ったのは、二月一日であった。一日を出帆の準備に費し、翌日、北から吹く貿易風に逆って、勇敢に、船を日本本土の方へ向けた。

  波、波、波、波

 波は磯に砕けた。
 水蒸気に包まれた春の太陽は西に傾き、柔かい光をその上に投げた。光を反射した砕けた波は、紅い薔薇の花辯を磯にまいたやうに美しく見えた。
 太平洋に面した南紀州の輪廓の大きな海岸には、風の無い日でも、相当に大きな波が打寄せた。空には、雲とまでいかないが、雲に凝集しさうな水蒸気で一杯になってゐた。風は生温く、海にも春が来たやうな気持がした。
 磯に砕けた波は、シャンぺン酒の栓wp抜いたやうに、沸き返り、煮え繰返り、宇宙の神が、人間に差出して下さる大きな祝盃のやうに見えた。波打際には美しい小石が並んでゐた。その中には、石英や長石のやうに白いものもあれば、またオパールのやうに美しく見える青石も混ってゐた。その小石の上に、村上勇は腰を下して磯に砕ける波をみつめた。
 台湾から帰った村上勇は、海賊と組合った時に、打ち処が悪かったと見えて、肋膜炎が突発し、呼吸する度に痛みを感じた。それで船から下りて、数ケ月の間静養することに決めた。船主の伊賀兵太郎も、親切にいってくれるので、少しの間、黒潮に近い、気候の暖かな南紀州でぶらぶらすることに決めた。然し、肋膜炎は彼を非常に憂鬱にした。彼が働かないために、だんだん衰弱してゆく母への為送りも、また保養を続けてゐる片田の中村栄子の食費も、全く送れなくなった。いや、それより心配になったのは、彼が甲種二等運転士の試験を受けようと思っても、体格検査にはねられる恐れがあったことである。二月が過ぎ、三月も終に近づき、鯛網が出走り、彼の乗ってゐた白洋丸は、鰹船に早変りして沖へ出たけれども、彼の肋膜炎は少しもよくならなかった。
 それで彼は、毎日海岸に出て波をみつめた。今日も彼は病をおして、午前中は試験の準備をしたが、昼から海岸の砂利の上に腰を下して、自分の運命、社会の成行、……そしてまた宇宙の神秘などに就いて、ひとり思ひ込んでゐた。
 水平線まで何ものにもさまたげられない大きな海は、緑の段通を敷詰めたやうに拡がる。磯に這上って来る白い波紋の描かれた潮は段通の縁をとったレースのやうに見えた。
 生れてから二十数年の間、波ばかり見てゐる勇でも、こんなに根気よく磯に砕ける波をみつめることはなかった。その単純な律動をぢっと辛抱して、一時間も二時間も凝視してゐると、波の神秘に魂が溶け込むやうに思はれた。
 広い海岸に、誰一人として出てゐる者はなかった。そこには、ぽっつり、彼一人が社会から置去りにされたやうに、また考へやうによると、海から打上げられたやうに、ぼんやり何もせずに――身体さへ動かさず、大きく呼吸することさへ止めて、海岸の結晶片岩の小石の一つのやうになって、そこに坐り込んでしまった。あゝ、然し、何といふ幸福! 勇は、波の本然の性質がわかったやうな気がした。
 一つとして同じ砕け方をする波はなかった。
 沖から押寄せてくる波と、陸(おか)から引上げてゆく波が一つになり、それがせき上げられて小さく砕け、その儘また波紋を描いて磯へ押上げて来る。右より陸の方へ倒れかゝった波に、左のものが促されて砕け、その惰性で白い泡が立ち、やゝ高く砕ける。右と左の澄み切った波に挾み打ちになって倒れるものもある。暫く呼吸して、小さい波が続き、その後にまた大きな波がやってくる。吸込まれたと思ふとまた吐き出し、滝の如く崩れ、奔馬の如く走り、引く波と寄せる波が互ひに競り合ひ、玉と散らし、屏風の如く倒れ、跳ね上り飛上り、鬨の声を上げては、また数部に分れた合唱に移る。然し、それも長くは続かないで暫くすると、また天地創造前の静寂に帰る。水蒸気が濃くなって、太陽の光が鈍くなると、コバルト色に輝いてゐた沖は、忽ち淡い水色に変ってゆく。
 いくら見てゐても見飽きない。最初は物理的にのみ砕けると思ってゐた波が、決して同じ形を繰返さないのを見て、勇はその不可思議に驚いた。同じ磯に砕けるものでも、ある時は澄切って居り、その次は濁る。ある時は睡蓮にも似、また次の瞬間には、鎧の袖のやうな形をとる。さうかと思ふと、美人の唇のやうな形をしたり、時には滝の口のやうに、深い穴を作ることもある。そんな時には、そこから龍宮の戸口へ通へるのでないかと思はれた。打上げる時の潮の模様と、引上げる時の模様が違ってゐる。打上げた波は、必ず白い縁をつけて行く。引上げる時には、機の縦糸ばかりのやうに、波の模様がまっすぐに白くなる。少しすると、水で潤うたために、暗色に見える部分がだんだん薄くなる。
 いくら見てゐても見飽きない。勇自身も、こんなによく辛抱して見てゐられるものだと思ふ位であった。然し、波を物理的方面からのみならず。色彩から、音響から、模様から、曲線から、時間的変化から、精しく注意して見てゐると。何ケ月か坐り続けなければ、波の砕ける美しさを充分研究出来ないやうにも思った。こんな単調な波にさへ、こんなにも複雑な要素が含まれてゐるかと思って、勇はもう、自然の不可思議に驚嘆の声を放つばかりだった。
 家に帰っても――勇は、浜に近い、もと借りてゐた家に、またこんども一人で入ってゐた――誰も迎へてくれる人もなく、彼を可愛がってくれる卯之助親子もゐないし、伊賀兵太郎は話相手になってくれず、漁師の青年は、若い女の話をしなければ付き合ってくれないし、高くのぼらうとする勇は、たゞ、風と波と、岩と、昆布と魚に話しかけるより、彼自らを慰める方法はなかった。然し彼は、毒々しい曲った人間の生活より、波と結晶片岩と、昆布と魚の方を遙かに愛した。それだけあれば、人生は決して淋しくないと、毎日決ったやうに、海岸の岩の鼻や、結晶片岩の上に坐った。静かに、微風が彼の頬ぺたを嘗めてくれる。大きな魚が、折々、波間から頭を出して、彼の機嫌を聞いてくれた。
 かうして、父が備後灘の魚島付近で遭難した一周忌が来た。然し、肋膜の水がまだ取れないので、医者の忠告に従って、彼は故郷に帰ることを止した。