海豹の52 大臣室と漁夫

  大臣室と漁夫

 彼が兵庫県から帰ってきた日の朝、富ノ浦の人々は。また三吉の店先に集って皆昂奮したゐた。それは豆駿製糸の悪水のために昨夜から今朝にかけて。また生簀の魚が死んだためであった。
『ど畜生! 井原の野郎、県会議員を買収しやがって! 我々がいくら県会に運動をしても駄目になる事を知ってゐやがるものだから、駿河湾の漁民を馬鹿にしやがって、相変らず悪水を流しやがる!』
 歌舞伎に出てくる石川五右衛門のやうな髪の刈り方をした山上忠次といふ男が、ひとりで憤慨してゐる。
『井原の野郎、ぶん殴ってやれ!』
 顔の大きな青木睦男が、三吉の店から巻煙草を手にして、大声で怒鳴りながら忠次の方へ歩み寄ってきた。大勢の者は勇の姿を見るなり、
『村上さん、いゝ智慧をかして下さいよ。こんなに生簀の魚を殺されちゃあ、もう食へなくなってしまひますよ。会社へ行っても駄目、県庁へ行っても駄目、県会へ行っても駄目っていふんですからね、どうしたらいゝでせうか?』
 そこにしゃがんでゐた四十恰好の三吉が、酒飲みによく見られる赤ら顔をしてさう訊ねた。
『仕方がないなア、ぢゃあ。東京へ行って農林大臣にでも話を聞いて貰ふかな』
『大臣はこんな小さい村のことを聞いてくれますかね?』
 睦男がきゝ直した。
『何も小さい村のことぢゃないぢゃないか。駿河湾全体に関することぢゃないか!』
 勇が答へると、皆のものはそれに力を入れた。
『ぢゃあ、村上さんにお願ひして、農林大臣に陳情書を出すことにしようぢゃないか』
 青年団長の斯波勝三がさういふことを大勢の者に謀った。一同の者は沈黙して、賛同を表した。それでその日すぐ、勇と斯波勝三と青木睦男と、仁田三吉と山上忠次の五人が、陳情委員として東京に行くことになった。
 東京丸の内の東京ステーションに着いたのは、真昼の十二時五分前であった。それからとぼとぼ五人の者は、大手町に近い農林省まで歩いた。大臣が居る処だから、どんなに立派な恐ろしい処かと思ってゐると、予想に反したバラック建てなので勇はまづ安心した。受付できくと、岡本農林大臣は、いまし方大臣官邸に帰って行った、といふことであった。それで五人の者はすぐタクシーに乗って、永田町の農林大臣官邸へ押しかけた。
 こゝはまたバラック建ての農林省とはちがひ堂々たる官舎で、五人の田舎者は一種の威圧を感じた。まづ第一門に立ってゐた巡査が、コール天服を着た五人の者の風体があまり変ってゐるので、一々身分を聞くのには五人も閉口してしまった。然し、思ったよりはたやすく農林大臣は会ってくれることになった。応接の間で待ってゐた斯波勝三が、
普通選挙になってから。かういふ処は便利になったなア。これが三十年も昔だったら、大臣が会ふといふ事は大変だったらうなア、我々のやうな田舎者でも大臣がすぐに会ってくれるから有難い事だよ』
 さういうてゐる処へまた大臣秘書官が五枚の名刺を持って入ってきた。
『大臣は今日午後二時から閣議があって非常に忙しいのだから、諸君はそのつもりで五分間だけ会ってくれ給へ。どうか次の間へ』
 さういうて秘言官自ら、次の間に通る扉を開いてくれた。大きな鏡が正面にか々ってゐる。その前にぴかぴか光った三間もあらうと思はれる大きな一枚板のテーブルが据ゑられてある。テーブルの上には、美しい銀色の川草の灰皿が、いくつか並べられてあった。テーブルの周囲には。紺色に染めた皮張りの椅子が二十位並んでゐた。その中央に、身休の大きな、人の好ささうなやさしい眼をした岡本農林大臣が坐ってゐた。五人の者は緊張して、直立不動の姿勢をとった。秘書官が、大臣に、勇以下五名の者を叮嚀に紹介してくれた。そして秘書官は次の間に消えた。勇はこんな処にあんまり出たことがないので、どういふ言葉から始めていゝのか見当かつかなかった。たゞぼーっとしてどんな絵が壁にかゝってゐるか、窓の前にどんな木が植はってゐるか、それさへ見分けることが出来なかった。たゞ堅くなってそこに立ってゐた。
『まあ、おかけなさい!』
 大臣は優しく五人に声をかけてくれた。それで五人の者は沈黙したまゝ勇を中心にして五脚の椅子に腰をおろした。勇は一旦腰を下したがまた立上って大臣にいうた。
『農林大臣閣下、私どもは静岡県出方郡富ノ浦の漁民でありますが、是非大臣閣下にお願ひしたいことかあって参りました』
 すると大臣は温厚な目付を五枚の名刺に注いで、
静岡県田方郡といふと伊豆ですね?』
『はあ、左様でございます。実は私たちの村は疲弊のどん底になげこまれまして困ってゐるのでございます。漁獲物はどんどん減るし、それに最近の不景気が影響して、魚価は著しく暴落いたしまして、一戸当り年収入が、百円にならない位なんです』
『百円? それだけしがないかね?』
『実際それ位しかないのです。それで漸く娘のある者は娘を遊廓に売飛ばし、田地のある者は借りるだけ借りてやっとこの二、三年生活を続けてきたのでありますが、こゝに困ったことは附近の工場が、紙を漂白するために硫酸をどんどんヘ海へ流すものですから、たださへ機船底引網の乱獲によって魚が減って居ります際に、ますます魚が岸に寄せなくなってしまったんであります。殊に最近二回満潮時に生簀の魚が工場の流す悪水のためにみな死んでしまひました。それで、これまで度々、工場にも交渉し、県庁にも県会にもお願ひしたのでありますけれども、地方では少しも我々のいふことを相手にしてくれないのであります』
『ふム、そんなこともあるかね、困ったことぢゃなア、その悪水の出る口といふのは、直接海に注ぐやうになってゐますか?』
 大臣は、静かな口調で勇にきゝ直した。
『いゝえ、一旦川に落ちるやうにはなってゐるのですけれども、完全な溜池を作ってないものですから、どんどんヘ川から海へ流れまして、駿河湾一体の魚はみな死んでしまふのです』
『ふム、さういふものかね、それは僕も気かつかなかった。なほよく話して注意しておかう』
『大臣閣下、もう一つお願ひしたいのは、漁民の税金であります。我々は今日、辛じて一戸あたり百円位しか収入かないに拘らず、船には税金がかゝり、魚獲物にも税金を課せられ、市場に出ると、市場の課賦金をとられ、専用漁業権で税金を納め、定置漁業権で税金を出すといふ、実に哀れな状態であります。その上我々のやうな貧乏人が、命懸けで沖へ出て、遠洋漁業に出かけましても、魚を売りに行く所は、あるひは銚子であるとか、釜石であるとか、清水だとか、油津だとか、また三崎でありますが、これらは皆他府県の漁港であるために、その県の漁民の二倍も二倍半も課賦金を取上げられるといふ状態であります。この様な状態では、日本の漁民はもう自滅するよりほかはないのであります。それで大臣閣下の御配慮を得まして、税金を出す方法を簡単にして頂きたいのです。その上最近は漁民が貧乏して網さへ買へない者が大勢ゐますから、是非金融を円滑につけて頂き、日本全体の漁民のために一億円か一億五千円の低利資金を貸して頂きたいのであります。我々漁民が海の苦しみを忘れ、喜んで業務に従事するやう御配慮に預りたいのであります』
 さういってゐる所へ、大臣の後の扉を開いて入ってきた人相の悪い男があった。平気な顔をして大臣の傍に腰を下し、彼の前に置かれた名刺を眺めながら早口に大臣にいうた。
『君、この人達は伊豆の漁師諸君かね、例の工場の問題で来られたんと違ふのかね、あれだったら小さい問題だぜ。あれは君、静岡県の知事でさへ問題にしない、生簀の魚が死んだとか、なんとかいってるやうだが、会社の方にもなかなかいひ分があるやうだぞ』
 その無礼な言葉を聞いた勇は、大臣の前ではあったが、躊躇せずにいうた。
『小さい問題って、何ですか! 駿河湾の漁民数万の者が困ってゐるのに、あなたは何をいふんですか!』
 勇がさういうてつっ込むと、フロック・コートを着た男は、瞼の周囲をほんのり赤くして、伏目勝ちにいうた。
『いや、君の方が少ししつこいよ。工場は何も違法なことをしてやしないぢゃないかね。悪水の流れ込む貯水池も作ってゐるし、県庁から取調べにきても、少しも欠点のないやうにやってゐるっていふぢゃないかね』
『あなた実状をお知りになってさういはれるれですか?』
 勇は昂奮していうた。
『現在、今朝も悪水の為に五千貫以上の鯛、ちぬ等の魚がみんな死んでしまったんです。この不景気のどん底に。五千貫の魚といへば大したものなのです。これは一つの村の問題ですが、他の村の被害も相当にあらうと思はれます。我々はそれを代表して陳情に来たのです』
 勇の右側に坐ってゐた、斯波勝三は次のやうな文句を書いた紙片を勇に渡した。
『あの男は静岡市選出の杉本代議士で、井原の顧問弁護士だ。悪い奴だ。東京の魚市場の顧問もしてゐる』
 その時また給仕が、新しい名刺を持って部屋に入ってきた。
『次の部屋に待つやうにいうてくれ』
 大臣は、しとやかにさういうて。また左手で上唇を撫でながら、葉の落ちた欅の梢を硝子越しにみつめた。
『君等、悪水、悪水といふが、生簀の魚の死ぬのは悪水によるとのみ決ってゐないだらう』
 人相の悪い杉本代議士は、なほも毒舌を振るうた。それにかっとした斯波勝三は、
『それは悪水だけで死ぬとはきまってゐませんがね、私の家などは、これで何十代といって駿河湾で漁師をしてゐるのですが、いまだ曾て生簀の魚が何千貫みんな死んでしまったといふことなど聞いたことが、ありませんがね』
 さう斯波がいった時に、大臣はっと立上って、両手をテーブルの上にもたせ、
『いや、事情は解りました。よく取調べまして、漁民諸君が一日も早く安堵して、その日が送れるやうにつとめませう』
 さう叮嚀にいうてすぐ後の部屋に入って行ってしまった。すると、背の高い、ひょっとこのやうな顔をした杉本六弥も、大臣の後から次の間に入って行った。
『あいつ、失敬な奴だなア、憲友会の代議士って、みんなあんな奴か!』
 斯波は聞えよがしに、やゝ大きな声でいうた。

  闇夜の反抗者

 また木枯しが箱根の山を吹き下して。駿河湾の波の色が、黒くなった。鴨も北から帰って来た。然し、富ノ浦川の水はだんだん茶褐色に濁った。最近まで住んでゐた『むつごらう』と呼ばれる魚を最後として、つひに凡ての魚介類がその附近から影を没した。昔、美しく岸辺を彩ってゐた薄の花までが、もう今年は咲かなくなってしまった。沈み切った富ノ浦の漁民たちは、漸く伊豆の南方から魚を買入れて、女房達にそれを沼津や三島に行商させることによって、その日その日の生活を続けた村には、こそ泥棒が急に殖えた。小火(ぼや)が頻発した。
 産業組合のことに就て相談に来てゐた、青年団長の斯波勝三は大声でいうた。
『火災保険に入って居らなければ、この頃のやうに小火は起らんでせうなア。三吉さんの隣の家など、もう二度小火を出しよったが、保険金を千五百円も貰って、今年の暮は懐具合もいゝやうですなア。火災保険に入るのも、あゝいふ具合になると、まるで犯罪者を作るやうなものですなア』
 そんな話をして間もなく、勇の入ってゐる家の裏にあたる釣り道具を売ってゐる仁田商店も小火を出した。そして保険金を五百円貰った。
『いやなことが流行(はや)りますね、ほんとに恥かしいことですが、あゝでもしなければ食へないから仕方がないですね』
 マリ子は、裏の家が小火を出してから二、三日経って、そんなことをいひながら表から帰って来た。そして勇の顔を見るなり、なほ言葉を続けた。
『勇さん、こんなことをしてゐちゃあ。この村は全滅ですよ、もう少し精神運動をさかんにして。禁酒運動もやるし、聖書研究会もしてあげようぢゃありませんか』
 それで勇は、斯波、青木、山上の賛同を得て、禁酒会を作ることにした。然し、三吉は自分の家に置いてある酒の売れないことを心配して、禁酒会には反対した。そして今勇の借りてゐる家に対しても立退きを命じた。しかしやっと斯波の調停によって二円の家賃を五円払ふ約束で、同じ家に停ることが出来た。それと同時にまた、マリ子が中心になって、少数の者が聖書の研究会を毎日曜日の晩開くことになった。
 十一月の最後の日曜日の晩のことであった。聖書研究が済んで、斯波、青木。山上、仁田、土肥。伊東などの六人の青年が、勇とマリ子を中心に雑談に移ったが、仁田はその日の朝、また例の豆駿製紙の悪水のために、冨ノ浦の北潟の人々が損害を受けたことを報告した。その時、勇は腹の底で決心をしてゐるかのやうな表情を眉間に表して。六人の青年にいうた。
『おい、君ら、俺が責任を持ってやるから、あの劇薬の流れてくる暗渠をぶちこはして、ロを塞いでしまはうぢゃないか! それには六人ぢゃ足らぬから、もう十四、五人、人を集めて来ないか!』
 勇がさういったので、斯波も青木も山上も賛成した。
『あなたがそんな決心なら、私たちも覚悟しますよ、どうせこんなことをしてゐちゃあ、村は全滅するよりほか道がないんですから』
 その時、鼻の高い、目のぱっちりした美少年の土肥がいうた。
『村上さん、やるならいっそ、村の者が皆押しかけて行って、今夜の中にあの硫酸の出てくる暗渠も溝も全部を埋めてしまはうぢゃないですか。我々少数の者が行った処で、あの大きな排水路をぶちこはすことが出来ないんだから、どうせ堰止めるなら、村の者全部が行って堰止めようぢゃありませんか。すべての方法が尽きてゐる以上、さうでもするよりほか、今ぢゃ、道がないと思ひますね!』
 それで話はきまった。七人のものは手分して、村中をふれて廻った。
 百四、五十人の漁師が忽ち、村上勇の家の前の浜辺に集った。彼等に対して、勇は、もう一度自分の家に帰って、ふご、もっこ、何でもよい、硫酸が出てくる溝を埋める、土と石を運ぶ道具を持って来いと命令した。十分も経たない中に、十四、五人の娘までが。ふごや、もっこをかついで浜に集った。
 勇は彼等を一ケ処に集めて、一、作業は一切無言の儘やること。二、警官がきても暴漢が来ても、一切無抵抗主義をとること。三、取調べをうけたときには、皆村上勇の雇人であるといひ張ること。以上三ケ条をよくいゝ聞かせた上だけ、『最後の一人が縛り上げられるまで土運びを止めるな。村の者が全部刑務所へ行く気なら、世間は必ず目覚めるから』と附け加へた。
 勇は彼等を約二十人づつ七つの団体に分け、半里ばかり離れた富ノ浦川に接してゐる豆駿製紙の裏へ連れて行った。そして、闇の中で八町ばかりある硫酸が出て来る排水路全部を埋め立て始めた。それは十一月二十六日の午後九時頃であった。十時過ぎまで工場は気が付かなかった。然し、それと気の付いた工場は、早速交番所に訴へ出た。然し、闇の中で村民は、幽霊のやうに黙々と川岸から土砂を運んで溝を埋めた。
 一時問程して、巡査四人と警部一人が自動車に乗ってやってきた。その後から巡査二十名が警部二名に引率されて飛んできた。警部の一人は大声をあげて怒鳴った。
『みな、溝を埋めることを止めろ!』
 さういったけれども、一人としてその警部の言葉を聞く者はなかった。他の警部はまた大声で怒鳴った。
『この責任者は誰ぢゃ!』
 さうきかれたので、村上勇は、担いでゐたふごを其処に捨てて、警部の前に現れた。
『責任者は、私でございます』
『貴様は何といふのか?』
『村上勇と申します』
『お前も漁師か?』
『はい。さうでございます』
『もう一度、みんなにいうで、溝の中に入れた土砂を取りのけろ! 人の造営物の中に濫りに立入って、これを破壊するとは何ぢゃ!』
 その時、勇は謙遜に、畑の中に坐って両手をつき、警部を拝むやうにしていうた。
『警部さん、どうか村を助けると思って、私どものしてゐることを大目に見て下さい。あなたも、お聞きでせうが、富ノ浦の漁師はこの悪水のためにほんとに困って居るのでございます。この会社から出てくる硫酸の入った悪水のために、生簀の魚はみな死んでしまふ、地引網には、一尾も魚が入らなくなり、ほんとに村が、もう立行かなくなったことは、あなたもお聞きになったでせう。いろいろ会社にも交渉したり、県庁にもお願ひしたり、最近は農林大臣にまで陳情に行ったのですか……何等効果がないので仕方なしに自分等の手で、この溝を埋め立ててしまふことに決心したのでございます』
 さういってゐる間も、百数十人の者は薄気味の悪いほど黙々と、川から土砂を運んで溝を埋め立てた。
 警部は勇の言葉を俯向いて聞いてゐたが、勇が頭をあげて、仄暗い警察の提灯の光で警部の顔を熟視すると、鬼のやうな警官の二つの目に涙が滲んでゐた。それで勇は、
『――この警官はなかなか解った奴だわい』
 と思ったが、どんな返事をするかと、敬々しく其処に上下座してゐた。すると警部は、
『然し、法はまげられんからなア……』
 といひながら気をきかして、一町ばかり離れた川岸に立ってゐた警官の方へ歩いて行った。そのうちにまた二台のトラックが会社の裏門の前にとまった。彼等は手に手に混棒や日本刀の抜身を持ち、頭に鉢巻をして、土運びをしてゐる群衆の中に飛込んできた。
『こら! 貴様ら、何をしてるか!』
『ぶち殺すぞ!』
 その権幕に、村の者は怖れをなして橋の方へ引上げた。それが恰度午後十一時半頃であった。百数十人の村民が、暴漢に追ひ立てられて、橋の方に引上げたのを見届けた勇他六人の同志は、静かに一塊になって、そこを立去らうとした。すると、川岸に立ってゐた警部が、
『そいつらをみな縛っちまヘー』
 と命令した。それで、二十数人の警官は。寄ってたかって。小羊のやうにおとなしい七人の者を麻繩で後手に縛り上げてしまった。勇は勿諭覚悟してゐたことでもあるから。何とも思はなかったが、斯波も仁田も泣いてゐる様子だった。
 その晩七人の者は、暴漢を乗せてきた二台のトラック一つに運ばれて、沼津の警察署まで運ばれて行った。そして、木枯しの吹く寒い夜を、豚箱の中で送った。