日米和平

「日米会談の舞台裏」 阿久沢英治

昭和十六年四月二十二日に渡米した賀川先生は、同年八月十八日に帰国されたが、横浜港へ迎えに行った私の顔を見るやいなや、「阿久沢君、日米会談をどう思うか」という質問を発せられた。その当時日本は支那事変という泥沼に足を踏み入れて進退難に陥り、国…

平和使節団の思い出 阿部義宗

特急電車を3分とめる 1941年、日米間の関係が悪化し、太平洋の風雲急なる時、日本基督教連盟(原罪のNCCに当たる)では代表8名を選び、米国訪問することになった。外務省(近衛内閣)に話したところ大賛成だったので、実行することになったが、費用…

幻の和平工作秘話 日米開戦

賀川豊彦記念松沢資料館学芸員 杉浦秀典日米開戦の直前、近衛首相は神経の尖った軍部を避けて、ひそかに賀川と会った。それは戦争回避の和平工作を依頼する目的だったが、こんな緊張時に怪しまれずに出向くには、不信を抱かれないようにしなければならない。…

近衛・ルーズベルト・賀川−日米外交秘話

賀川豊彦は1960年4月23日、昇天した。当時、明治学院大学教授だった園部不二夫氏は、4月27日付けの毎日新聞で次のように書き、賀川をめぐる太平洋戦争前夜の秘話を公開した。 十カ月前、毎日新聞社から『宇宙の目的』という最後の快著を出版した賀…