ユヌス氏のマイクロクレジット

 2006年度のノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は1940年、チッタゴンの宝石商の子供として生まれた。フルブライト奨学生として米国に留学、バンダービルド大学で経済学博士号を取得した。在米中に東パキスタン独立運動を起こし、バングラデシュとなった。独立後母国に戻り、チッタゴン大学経済学長として迎えられたが、国内の貧困を目の当たりにして、「経済学」が貧困解消には役立たないと感じるようになった。

 1974年、大学の近隣の貧しいジョブラ村の調査を通じて、村人たちが高利貸のために生産したほとんどを奪われている実態を目の当たりにした。手始めに、竹製の椅子を作っていた貧しい女性に少額のお金を貸すこととなった。彼女は材料を仕入れる際に高利貸しから借りていた。収入のほとんどが利払いに充てられ、手取り収入はわずか2・5円だった。

 次に彼女と同じような境遇の村人42人に、27ドル(約3200円)を貸してみた。全員がちゃんとお金を返した。マイクロクレジット(少額無担保融資)の始まりはたった27ドルの私財から始まった。

 ユヌス氏の確信は「適切な利率で融資すれば、多くの村人の生活が向上する」というものであった。大手銀行の人たちが決して相手にしない人々にお金を貸すという天地がひっくり返るようなことビジネスにしようと考えたのがグラミン銀行の設立のきっかけだ。

 「グラミン」とはベンガル語で「農民」という意味である。グラミン銀行の設立は1983年。借り手は5人のグループをつくらなければならない。グループ内でお互いに助け合うためだが、同時に返済の共同責任も負う。貧困者、特に女性向けに融資を拡大した。
 ユヌス氏によれば、貧しい人々にとってマイクロクレジットは「ラストリゾート」だから「真面目に返す。返済率は97%にのぼる」という。同銀行の2005年の総収入は1億124万ドル(約133億756万円)で、利益率は13・5%にもなる。現在、661万人に融資しており、うち97%が女性だ。

ユヌス氏の協同組合批判論

 企業組織に人間性をもたらし、考え方を啓蒙する一つの試みとして協同組合運動がある。そこでは、労働者と消費者が、全員の利益のためにビジネスを所有し、経営に参加するのである。
 ロバート・オーウェン(1771−1858)はウェールズ人で、イングランドスコットランドに紡績工場を所有し、経営していた。彼はしばしばこの運動の創始者と考えられている。オーエンは産業革命の初期に、労働者に対する搾取の現状に愕然とした。特に彼は、工場労働者に対して一般の通貨ではなく、会社の売店だけで使える臨時の紙幣で賃金を支払うイギリスの習慣を嘆いていた。しかもその店では、安物の商品にやたらと高い値段がついていたのだ。
 この抑圧の悪循環は、私が最初にグラミン銀行の設立につながる仕事を始めたとき、ジョブラ村で見た、金貸しによってバングラデシュ人がさらにひどい状態になっていた姿を思い出させる。また、アメリカ南部の地主が、小作人を搾取していたことを思い出させる。地主は労働者の負債を理由に、値段が高すぎる会社の店と取引することを強要した。彼らは余った資金が所有者のポケットにだけ流れ込んで、決して労働者のところには利益が行かないように閉じた経済のループを作り上げたのだ。
 オーウェンは、実際的な段階を踏んでこの問題に対処した。スコットランドのニューラナークにある彼の工場では、彼は大量仕入れによって質のいい品物がコストをほんの少しだけ上回る価格で買える店をオープンしたのだ。これこそが協同組合運動の芽であった。この動きは、顧客によって所有され、主に商人のためよりも顧客にとって利益があるように運営されるビジネスという概念に添っていた。オーウェンのプランで経営される店は今や当たり前のものとなり、イギリス全土とヨーロッパのあらゆる場所で運営されている。
 協同組合運動は、強欲な会社の所有者による貧しい人々の搾取に対抗して始まったものである。しかしながら、本来、貧しい人々を援助し、あるいはその他の特定の社会的な利益を生み出すという目的のためには、協同組合という概念は向いていない。協同組合事業の所有権を作り出し共有するために団結する人々の目標と利害が一致するかぎり、そういったビジネスは中流階級や貧しい人々の利益のために構築される。もし、利己的な支配に陥れば、協同組合事業は、社会のすべての人を助けるよりも、個人やグループの利益を得るために、むしろ経済を制御する手段となることさえできる。協同組合が本来の社会的目的を見失うとき、それは他と同じように実際には利益を最大にするための会社になってしまうのだ。(ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る』早川書房から抜粋)

『貧困のない世界を創る』ムハマド・ユヌス著

 神戸プロジェクトのシンポジウムが近づき、遅まきながらムハマド・ユヌス氏の著書2冊を読んだ。10年ほどまえの『ムハマド・ユヌス』と昨年出版されたその続編ともいえる『貧困のない世界を創る』。ともに猪熊弘子が翻訳し、早川書房が出版した。
 読み終えてまさに90年前の賀川豊彦が眼前に復活した。バングラデシュが独立して、留学先のアメリカから帰国したユヌス氏は母校のチッタゴン大学経済学部長に迎えられたが、近隣の貧しい農村の実態を放置できずに象牙の塔を抜け出した。神戸の神学校から新川スラムに移り住んだ青年、賀川豊彦は肺病を悩みながら残り少ない人生をならば貧しい人々とともに暮らそうと決断した。動機は違うが、「救貧」があり「防貧」が続く。
 グラミン銀行が行うマイクロクレジットは賀川が関東大震災後に本所に設立した中ノ郷質庫信用組合の発想と生き写しなのだ。貧しい人に金を貸すことが無謀だと考えられていた時代に、鍋釜を質にとれば、夕方必ず必要になるから借金は必ず返済されるとの信念通り、中ノ郷は貧しい人々のかけがえのないよりどころとなった。グラミンもまた同じ発想で返済率97%を誇る銀行として発展したいるのだ。(伴 武澄)


『貧困のない世界を創る』ムハマド・ユヌス著(猪熊弘子訳、早川書房
評・広井良典千葉大学教授(1月4日付け朝日新聞から転載)

 ■すべての人間は企業家の能力を持つ

 本書は、グラミン銀行という機関を創設し、マイクロクレジット(無担保少額融資)と呼ばれる手法を通じてバングラデシュの貧困削減に大きく貢献し2006年度ノーベル平和賞を受賞した著者による包括的な著作である。
 グラミン銀行の話を以前聞いた際、次のような素朴な疑問を持っていた。一つは、貧困削減においてなぜ「金融」が先にくるのか。それは人々を“市場経済の論理”に巻き込むのを促進するだけではないかという点。いま一つは、グラミン銀行のような試みが資本主義の展開という大きな文脈の中でどのような意味をもつのかという点である。
 本書はこうした疑問に対してきわめて明確かつ体系的な答えを与えてくれる。前者について著者は、融資という方法は職業訓練などより有効とし、なぜならばすべての人間は企業家としての能力を普遍的に持っているからとする。それは「個々の人間の内部にある創造性のエンジンのスイッチ」を入れることにもなる。ちなみにグラミン銀行の融資先の97%は女性である。
 後者については、本書の中心テーマである「ソーシャル・ビジネス」が鍵となる。ソーシャル・ビジネスの本質は、既存の「最大利益追求型ビジネス」(及びそれが行う社会的貢献活動)とは異なり特定の社会的目的を追求することにあり、それは「損失もない代わりに配当もないビジネス」である。著者によれば、現在の資本主義はなお開発途上だが、人間はもっと多次元的な存在であり、そこにソーシャル・ビジネスが生成する舞台がある。さらにこの文脈で環境問題など「成長のジレンマ」と対応のあり方も論じられる。
 著者が挙げる2050年までの「欲しいものリスト」の中には「グローバル市民」「グローバル教育」「グローバル通貨」などが含まれ、グローバル化にも条件つきながら明確な支持が示されるように、著者のスタンスは普遍性への志向が強い。こうした点には議論の余地があろうが、具体的な実践を伴いつつ、資本主義のあり方を根底から問いなおす本である。