『貧困のない世界を創る』ムハマド・ユヌス著

 神戸プロジェクトのシンポジウムが近づき、遅まきながらムハマド・ユヌス氏の著書2冊を読んだ。10年ほどまえの『ムハマド・ユヌス』と昨年出版されたその続編ともいえる『貧困のない世界を創る』。ともに猪熊弘子が翻訳し、早川書房が出版した。
 読み終えてまさに90年前の賀川豊彦が眼前に復活した。バングラデシュが独立して、留学先のアメリカから帰国したユヌス氏は母校のチッタゴン大学経済学部長に迎えられたが、近隣の貧しい農村の実態を放置できずに象牙の塔を抜け出した。神戸の神学校から新川スラムに移り住んだ青年、賀川豊彦は肺病を悩みながら残り少ない人生をならば貧しい人々とともに暮らそうと決断した。動機は違うが、「救貧」があり「防貧」が続く。
 グラミン銀行が行うマイクロクレジットは賀川が関東大震災後に本所に設立した中ノ郷質庫信用組合の発想と生き写しなのだ。貧しい人に金を貸すことが無謀だと考えられていた時代に、鍋釜を質にとれば、夕方必ず必要になるから借金は必ず返済されるとの信念通り、中ノ郷は貧しい人々のかけがえのないよりどころとなった。グラミンもまた同じ発想で返済率97%を誇る銀行として発展したいるのだ。(伴 武澄)


『貧困のない世界を創る』ムハマド・ユヌス著(猪熊弘子訳、早川書房
評・広井良典千葉大学教授(1月4日付け朝日新聞から転載)

 ■すべての人間は企業家の能力を持つ

 本書は、グラミン銀行という機関を創設し、マイクロクレジット(無担保少額融資)と呼ばれる手法を通じてバングラデシュの貧困削減に大きく貢献し2006年度ノーベル平和賞を受賞した著者による包括的な著作である。
 グラミン銀行の話を以前聞いた際、次のような素朴な疑問を持っていた。一つは、貧困削減においてなぜ「金融」が先にくるのか。それは人々を“市場経済の論理”に巻き込むのを促進するだけではないかという点。いま一つは、グラミン銀行のような試みが資本主義の展開という大きな文脈の中でどのような意味をもつのかという点である。
 本書はこうした疑問に対してきわめて明確かつ体系的な答えを与えてくれる。前者について著者は、融資という方法は職業訓練などより有効とし、なぜならばすべての人間は企業家としての能力を普遍的に持っているからとする。それは「個々の人間の内部にある創造性のエンジンのスイッチ」を入れることにもなる。ちなみにグラミン銀行の融資先の97%は女性である。
 後者については、本書の中心テーマである「ソーシャル・ビジネス」が鍵となる。ソーシャル・ビジネスの本質は、既存の「最大利益追求型ビジネス」(及びそれが行う社会的貢献活動)とは異なり特定の社会的目的を追求することにあり、それは「損失もない代わりに配当もないビジネス」である。著者によれば、現在の資本主義はなお開発途上だが、人間はもっと多次元的な存在であり、そこにソーシャル・ビジネスが生成する舞台がある。さらにこの文脈で環境問題など「成長のジレンマ」と対応のあり方も論じられる。
 著者が挙げる2050年までの「欲しいものリスト」の中には「グローバル市民」「グローバル教育」「グローバル通貨」などが含まれ、グローバル化にも条件つきながら明確な支持が示されるように、著者のスタンスは普遍性への志向が強い。こうした点には議論の余地があろうが、具体的な実践を伴いつつ、資本主義のあり方を根底から問いなおす本である。