草津温泉と賀川豊彦と三上千代

 草津温泉浪漫というサイトに草津温泉にゆかりの人物を紹介した「歴史コーナー」がある。小林秀雄ブルーノ・タウトにはさまれて「賀川豊彦」も紹介されている。以下はその紹介文である。
 http://www.click-kusatsu.com/rekishi/ayumi03.html
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  賀川豊彦 社会運動家キリスト教信者)・かがわ とよひこ〜1888〜1960年

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 昭和2年/1927 明治末から昭和にかけて活躍した社会運動家。不遇な家庭環境t 病身の苦難の中で、キリスト教への親信仰を強める。神戸神学校在学中から、 神戸のスラム街に住み、伝導と救済活動に努めた。大正9(1920)年、 活動を綴った小説『死線を越えて』を発表、ベストセラーに。米プリンストン大学に 留学の際、労働運動にふれ、帰国後友愛会に参加。労働争議を指導し、 労働者に強い影響力を持った。大正11(1922)年、杉山元治郎とともに 日本農民組合を結成。大正15(1926)年の労働農民党の結成で中央委員に。 同年、「神の国運動」を開始し、活動の中心は宗教へ。第二次世界大戦後は、 伝道活動を継続する一方、日本社会党結成への関与、また世界連邦運動を 推進するほか、生涯を社会運動の中に過ごした。 

 豊彦は来草の折り、湯之沢の三上千代女史宅に3ヶ月ほど滞在しました。 千代女史は、草津にらい病患者の部落があるにもかかわらず、医師も 看護婦もいない事実を知り、コンウォール・リー女史の事業を手伝った看護婦。 国立療養所栗生楽泉園を視察した豊彦は、後に日本救らい協会理事となり、 らい病対策に努めました。