新しい夢を宿した二年間の修道のとき(鳥飼慶陽)

神戸イエス団教会100周年記念誌への寄稿
いまはむかし、不思議なご縁で神戸イエス団教会の招聘を受けたのは1966年春、44年も昔のことである。しかも2年間という短い期間であった。けれども私たちにとってあの2年間は、新しい夢を宿した大切な修道の時であった。
大学を卒業してすぐ結婚、農村の小さな教会の牧師になることを夢見ていたので、びわ湖畔の片田舎、近江兄弟社関連の教会が、私たちの最初の任地であった。近江兄弟社学園の聖書科を受け持つなどして、新しい教会のかたち求めて試行錯誤を重ねていた。しかし二人目の子どもを授かることになり、生活上やむなく「出稼ぎ」の決断を迫られることになった。産後すぐであったが私たちを招いていただいた先が、皆様のこの神戸イエス団教会であったのである。
建築間もない「賀川記念館」は、生来田舎者の私にはたいそう立派に見えた。ここではじめて村山牧師ほか役員の方々の面接があり、皆さんから暖かい励ましのことばを受けたあの日のことは、今も忘れることが出来ないでいる。
面接を終えてその数日後、武内勝氏の急逝という衝撃的な悲報を受けることになる。そのご葬儀が私のここでの仕事始めであった。
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村山牧師は勿論お若く、記念館館長として、友愛幼児園園長として、さらには保育園連盟などで既に幅広くご活躍の時であった。新しい記念館では、加藤忍氏を中心として若手三人衆:祐村明・加藤鉄三郎・宮本牧子各氏らが、多くのボランティアと共に学童保育・キャンプ・バザー・古着市・相談活動など、若い力で大活躍が始まっていた。教会の伝道師というのが私の職務であったが、記念館で毎週開かれていたスタッフ会議にも、最初から顔を出し、諸活動にも可能な限り加わっていた。
幼子二人を抱えた4人暮らしで、記念館2階の居室で生活していたこともあって、友愛幼児園の先生方や給食担当の方々にもお世話になり、とても親切にしていただいた。若き日の先生方のお顔を今でもすぐ思い起こすことが出来る。
同じ2階の向かい部屋には管理人の国府忠信・清子夫妻がおられ懇意にしていただいた。1階に小さなお風呂場があり、週に何度か国府さんがお湯を整えてくださったり、時には子守までしていただいたことも。週に1,2度屋上にあった和室にあがり「横堀川」という連続ドラマや淀川長治の「日曜洋画劇場」などを観るのが楽しみだった。当時まだ白黒テレビであった。
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教会学校もあの頃、斉木進之助校長のもとに先生方が揃い、中学生や高校生が群れていた時代であるが、記念館のスタッフ三人衆の周辺には青年男女も結構寄り集まっていた。
賀川先生の中には早くから「家の教会」構想は芽生えていたが、当時「教会の革新」の試論として「家の教会」といわれるものが話題になっていた。これを活かす試みで教会員を幾つかに組み分けをしたりして「家の集会」を始めていた。
その中でも際立っていたのはお膝元の「吾妻集会」であった。当時は主に神田さんのお宅で集まりを持っていたが、佐藤きよさんや国府忠信さんの熱心さは突出したもので、「吾妻集会」は特に、日々の生活を中心とした宗教座談といった面白みがあった。
当時の地域の様子はといえば、まだバラック住宅が残り、戦前建築された共同住宅には戦災後さらに屋上屋を重ねる無残な環境が放置されていた。「吾妻集会」でも、新しい記念館のわが居宅の中にまでも、神戸名物?恐怖の「南京虫」が襲来してきて大いに悩まされたことも、今はもう懐かしい昔の語り草になった。
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一方あの2年間は、牧師仲間の有志でシモーヌ・ヴェイユの月例読書会を行ったり、延原時行牧師が提唱した「牧師労働ゼミナール」(尼崎教会で共同生活しながら労働体験と共働研鑽を行う自主的な牧師研修)などを2度にわたって経験したりして、ゆとりを持って「新しい時代を生きるキリスト者のかたち」をじっくりと模索する、本当に恵まれた時であった。またこの2年間の修道期間の終わりには、相方ともども牧師試験に合格し、今後は私たちも「在家労働牧師」として生きるという天来の夢を宿して、喜んで新しい歩みを踏み出すことが出来たのであった。
こうして1968年4月からは、長田区で6畳一間の部屋を借り、ゴム工場の雑役労働で自活する生活がスタートした。「出合いと対話」は学生時代からの私たちの基本語になっていたが、教団公認のかたちで「番町出合いの家」の誕生となり、以来こんにちまで、もぐら暮らしの実験を楽しみながら、あっという間に40数年が経過した。
「賀川献身100年記念」の昨年は、神戸に来てからの念願でもあった「武内勝所蔵資料」の閲読を許され、その「玉手箱」の中から何と、賀川豊彦・ハル夫妻の武内宛直筆書簡およそ120通と貴重な武内日誌などの「お宝」が発見される事態となった。その関連で昨年は、イエス団関係の方々(真部マリ子さん、河野洋子さん、大岸坦弥・とよの夫妻などのお話や所蔵写真にも接することも出来た。
それらの「お宝」は「賀川豊彦のお宝発見」として「献身100年オフィシャルサイト」で94回の長期連載となり、現在インターネット上ですべて公開されている。そして神戸文学館での企画展「賀川豊彦と文学」(2010年3月22日まで)でも、専門学芸員の手によってその一部が展示されている。
 神戸イエス団教会が、神の働きに与かる喜びに生きた多くの先達に呼応して、再建された新しい賀川記念館並びにイエス団の中核的役割を担い、益々の前進を遂げて行かれる事を、心よりご期待申し上げ、記念誌への拙稿とする。
創立100周年記念、おめでとうございます。(日本基督教団番町出合いの家牧師 鳥飼慶陽)