2015-02-18から1日間の記事一覧

海豹の36 侵しえぬ霊宮

侵しえぬ霊宮 その晩、卯之助の女房たきと娘のかめ子は気をきかして、勇と万龍の床を並べて敷いた。然し、勇は止むなく万龍の傍に寝たものの、万龍を弄ぶといふ気持を起さなかった。彼は父の遺言がある点まで、完成するまで決して女には接近しないと、心で決…

海豹の35 芭蕉の葉の破れ目

芭蕉の葉の破れ目 その日の午後、久し振りに勇は姉婿と母と三人で倉敷へ向った。忍耐深い母が、痛みを訴へるにつけて、孝心深い勇は身代りになってあげたいと思った。医者は、手術をしても助からないだらうと宣告した。それを聞いて勇はほんとにがっかりした…

海豹の34 船玉の聖書

船玉の聖書 一旦湾内に入ると、そこは想像もつかぬ程波も静かで、玩具のやうに小さい小波が、いひわけに波打ってゐた。その時、勇は、海上で祈った祈を思ひ出して心から感謝した。瀬戸内海の御手洗島で覚えたヴィッケル船長に教はった讃美歌が、自然に口もと…

海豹の33 『やあ! 人間ぢゃ!』

『やあ! 人間ぢゃ!』『やあ! 人間ぢゃ、人間ぢゃ! 頭が見えた!』 さういった瞬間に、また船は、大きなうねりのために、漂流してゐる人間と、あと先に隔離されてしまった。続けて、勇が、汽笛を吹嗚らしたけれども、漂流してゐる者は余程水を飲んでゐる…

海豹の32 S・O・S

S・O・S 店から飛出した島香の主人は、すぐ向ひの角丸の店に飛込んだ。 『港外で宮古に入る船が難船してゐるさうな。天祐丸をすぐに出さにやならんが、お家の機関士は、今日は船から上陸してるんでせうなア』 電燈をつけて、しきりに算盤を弾いてゐた角丸…

海豹の31 低気圧に先駆する波濤

低気圧に先駆する波濤 翌朝、船は十一時頃、釜石を後にして太平洋に乗出した。水温を計りながら、沖へ沖へと出て行ったが、空が晴れてゐるのに、濤だけが馬鹿に高かった。延繩の修理をやってゐた卯之助は、艫に廻ってきた勇にいうた。 『大将! こりゃ、今夜…