協同組合

協同組合と賀川豊彦(3)

三・賀川と戦後の協同組合 一・日本協同組合同盟の設立 国民は戦争中から食糧難による飢餓と物資不足に悩まされてきたが、敗戦によって都市部に住む多くの市民は焦土に投げ出され、毎日を食うことに追われていた。とくに衣食住が深刻で、疎開した人もしなか…

協同組合と賀川豊彦(2)

3・東京学生消費組合 明治期に同志社、農大などの教育実習や模擬的な学生消費組合が二、三現れたが、それらは学生の自主的な取り組みではなかった。関東大震災の直後にも、帝国大学農学部の学生、近藤康男(東大農学部教授・協同組合研究家)らが佐藤寛次教…

協同組合と賀川豊彦(1)

「共済と保険」99.9から転載 はじめに 日本政府は、消費者重視の社会をめざして、一九九三年に経済改革研尭会(平岩研究会)を設置した。平岩レポート(同年十二月)は「規制緩和によって企業には新しいビジネスチャンスが与えられ、雇用も拡大し、消費…

デンマルク国のこと

戦前、日本が一等国への仲間入りを目指していた時、賀川はヨーロッパで新たな地平線を見出していた。「欧州の一等国は軍備の拡張や外交上のあつれきで血眼になっているのに、二等国、三等国はいつのまにかちゃんと平和な楽園を築いている」 北欧が軍縮を進め…

EUの理念の一つとなった賀川豊彦の発想

いま、賀川豊彦の『死線を越えて』という小説を読んでいる。大正9年に改造社から初版が刊行されてミリオンセラーになり、いまのお金にして10億円ほどの印税を手にしたとされる。賀川豊彦は、神戸の葺合区新川の貧民窟に住み込み、キリスト教伝道をしなが…

賀川豊彦の兄弟愛経済(1)

オルタナティブな道 今どき協同組合といったら旧世代の発想のように聞こえるかもしれない。だが、ソ連の崩壊以降、わが物顔に暴走する資本主義経済に対抗する経済体制の存在がいまこそ不可欠であると考えている。それが協同組合だとは言わない。だがオルタナ…

日本のNPO歴史と現状

第2章 日本のNPO歴史と現状(1)日本の民間非営利組織の歴史的背景1.組織概念からみた歴史的特徴 NPOといえば何か新しいもので、日本の伝統から遠い存在であるかのように思われるが、必ずしもそうではない。営利を目的しない組織は、恐らくどのよ…