新聞記事

信仰貫き愛の労働運動 庄内日報

富樫雄太(明治17−昭和31)西荒瀬村(現・酒田市)の旧家の生まれで、小地主だった富樫雄太は明治40年10月17日、日本基督教団酒田教会で洗礼を受け、熱心なキリスト教徒となった。雄太が鵜渡川原村立町に住む酒田教会の三浦牧師宅を訪問した際、肥桶をか…

『貧困のない世界を創る』ムハマド・ユヌス著

神戸プロジェクトのシンポジウムが近づき、遅まきながらムハマド・ユヌス氏の著書2冊を読んだ。10年ほどまえの『ムハマド・ユヌス』と昨年出版されたその続編ともいえる『貧困のない世界を創る』。ともに猪熊弘子が翻訳し、早川書房が出版した。 読み終え…

林啓介氏の『賀川豊彦』がハングルで出版 徳島新聞1月26日

賀川豊彦の評伝、韓国語版出版 現地牧師翻訳、「日韓の懸け橋に」 社会運動家賀川豊彦の生涯を描いた評伝「阿波の偉人伝 時代を超えた思想家賀川豊彦」の韓国語版が出版された。林啓介さん(75)=鳴門市大麻町板東、阿波の歴史を小説にする会会長=の著書…

1月6日付け徳島新聞 「鳴潮」

徳島で幼・少年期を過ごし、日本の社会運動のパイオニアとして知られる賀川豊彦(一八八八−一九六○年)が神戸のスラム街に住み込み、活動を始めてから今年で百年になる これを記念して、賀川ゆかりの徳島、神戸、東京で「献身百年」記念事業が展開される。県…

1月4日付け神戸新聞 正平調

引っ越しの荷物は、ささやかなものだった。自ら引いた荷車にくくったのは、布団と二つの行李(こうり)、それに竹製本棚一つ。行李には衣類と本が詰まっていた。賀川豊彦が自伝的小説「死線を越えて」に書く引っ越しの一場面だ。向かったのは十軒続きの長屋…

経済システムの再設計が必要だ ムハマド・ユヌス氏

1月6日付け朝日新聞の一面にに「ノーベル平和賞のユヌス氏「日本企業に社会貢献期待」という記事が掲載されている。グットタイミングで朝日が賀川献身100年事業をバックアップしてくれたようなもので、嬉しい。(伴 武澄) ノーベル平和賞のユヌス氏「…

賀川豊彦 今こそ再評価 徳島新聞1月3日付け朝刊1面トップで

賀川豊彦 今こそ再評価 関連団体、多彩な顕彰事業を予定 1月3日付け徳島新聞 徳島新聞1面トップのPDF 徳島県で幼少時代を過ごし、近代日本に大きな足跡を残した社会運動家・賀川豊彦(一八八八−一九六〇年)。二〇〇九年は、貧困者を救うため賀川が神戸の…

協同組合と医療のこと 色平哲郎 日経メディカル

以下は、昨年「日経メディカル」向けに書いたものです。 08年3月10日 私は農協職員である。 十数年来、長野県厚生農業協同組合連合会(厚生連)傘下の佐久総合病院(長野県佐久市、夏川周介院長)に勤務している。 わが厚生連病院の存在が、一般にあま…

賀川豊彦ゆかりの地も 「コープこうべ」は17日に 12月24日付け毎日新聞地方版

賀川豊彦ゆかりの地も 「コープこうべ」は17日に 12月24日付け毎日新聞地方版 ◇温かい心を分かち合いませんか ◇長田・大国公園→御蔵北公園近く 阪神大震災から14年になる神戸の町を歩いて、温かい心を分かち合いませんか−−。震災で壊滅的な被害を受けた…

文学に見る賀川豊彦 神戸文学館で企画展 12月13日付け神戸新聞

文学に見る賀川豊彦 神戸文学館で企画展 12月13日付け神戸新聞 神戸で労働運動や生活協同組合運動などを展開した賀川豊彦(一八八八-一九六〇年)の歩みを文学的な面からたどる企画展が、神戸市灘区の神戸文学館で開かれている。社会運動家のイメージが強い…

李承晩大統領に訴える 賀川豊彦 1955年12月8日付け毎日新聞

1952年、韓国の李承晩大統領は対馬海峡に一方的に軍事境界線「李承晩ライン」を引いて、日本の漁船による漁獲に対して、臨検・拿捕を強行した。日本側は韓国の強硬姿勢になすすべがなかったが、賀川豊彦は毎日新聞に「李承晩大統領に訴える」という長文…

賀川豊彦献身100年−近代日本化のグランドデザイナー(下)2008年5月28日付け徳島新聞

賀川豊彦記念館館長 田辺健二(徳島新聞2008年5月28日掲載) 賀川豊彦は、1888(明治21)年7月10日、賀川純一とかめの二男として神戸市で生まれた。しかし、4歳の時、両親が相次いで亡くなり、93(明治26)年、徳島県板野郡(現鳴門市大麻町…

賀川豊彦献身100年−近代日本の代表的社会運動家(上)2008年5月27日付け徳島新聞

賀川豊彦記念館館長 田辺健二(徳島新聞2008年5月27日掲載) 近代化の矛盾と闘う 貧困者や社会的弱者のために1909(明治42)年12月24日のクリスマスイブの日、21歳の賀川豊彦(1888−1960年)は、わずかな身の回り品と書物とを積んだ大…

マッカーサーに平伏さなかった唯一の日本人 1945年8月30日付け読売新聞

2003年、アメリカはイラク戦争を「衝撃と畏怖」と命名した。1996年にアメリカで発行された同名の軍事理論の研究書名に由来するのだそうだ。戦争をいかに短期間で終結させるかを研究した内容で「核兵器を使用せずに、広島と長崎への原爆投下が日本人…