著作

賀川豊彦著『空中征服』、4月に復刻版発売

新刊案内「生活協同組合研究 2009年2月号 賀川豊彦と現代」

新刊案内「生活協同組合研究 2009年2月号 賀川豊彦と現代」 生活協同組合研究 2009年2月号 Vol.397「賀川豊彦と現代」 主な執筆者:野尻武敏、加山久夫、濱田 陽 2009年は,21歳の賀川豊彦が神戸のスラム街であった新川に入って100年目となる。それを記念し…

賀川豊彦の著作ブログにご協力を!!

1月から賀川豊彦の著作の写真と簡単な紹介文をこつこつとブログにため込んでいる。ほとんどアクセスのないブログであるが、ここらで宣伝させてもらいたい。本来は2月28日、青山学院の青学ホールで開催される献身100年のキックオフの集いまでに完成さ…

『死線を越えて』についての疑問 鑓田研一

『死線を越えて』は――正確にいえば、その前半の、初め『鳩の真似』という題で書かれた部分は、果たして「遺書」としての性質を持っているかどうか、というのが私の疑問である。 私の書いた伝記小説『賀川豊彦』(昭和9年12月刊)に次のような一節がある。…

賀川豊彦の意識小説3編

『乳と蜜の流るる郷』1935年、改造社 『幻の兵車』1934年、改造社 賀川豊彦『颱風は呼吸する』1937年、第一書房 『幻の兵車』は資本主義を批判しつつ、農村経済の窮乏を暴露し、協同組合精神を強調する。『乳と蜜の流るる郷』は農村問題の解決に…

林啓介氏の『賀川豊彦』がハングルで出版 徳島新聞1月26日

賀川豊彦の評伝、韓国語版出版 現地牧師翻訳、「日韓の懸け橋に」 社会運動家賀川豊彦の生涯を描いた評伝「阿波の偉人伝 時代を超えた思想家賀川豊彦」の韓国語版が出版された。林啓介さん(75)=鳴門市大麻町板東、阿波の歴史を小説にする会会長=の著書…

ニューヨークで見た労働組合の衝撃 賀川豊彦

賀川豊彦にとっての労働組合の衝撃の原体験は休暇でニューヨークを訪ねた時にたまたま目にした労働組合のデモの風景であった。団結が力となることを知った。戦わなければ何も得られない。この時、帰国したら労働組合を結成して戦うことを決意するのである。 …

太陽を射るもの 賀川豊彦

賀川豊彦『太陽を射るもの』から抜粋 モント・クレーア公園の東北隅に美術館があった。その前に一基の銅像が立って居た。 栄一は街に使いに出る度毎に、その銅像の前を過ぎった。その銅像は――亜米利加印度人の少年が太陽に向かって弓をひいて立って居る。そ…

乳と蜜の流るる郷 賀川豊彦

この書は昭和10年11月6日、東京の改造社から発行された。この年2月かた7月まで、賀川はオーストラリアに講演旅行をなし、12月には中山昌樹とともに、アメリカ・キリスト教連盟及びアメリカ政府の要請により渡米し、主として協同組合運動について指…

『資本主義はどこへ行くのか』が21日発売

4月に『死線を越えて』を再版して頂く予定のPHP研究所より賀川豊彦関係書籍が1月21日に刊行される。神戸大学大学院の滝川好夫先生の書き下ろしの『資本主義はどこへ行くのか』である。帯には「賀川豊彦の経済学から学ぶべきこと」と打ってある。一般…

 2008年12月27日時点、AMAZON.COMで購入できる賀川豊彦関連の中古本

1.賀川豊彦から見た現代 賀川豊彦記念講座委員会 (単行本 - 1999/5) 新品: ¥ 1,890 (税込) 2.賀川豊彦 (同時代ライブラリー (245)) 隅谷 三喜男 (- - 1995/11) 10 点の全新品/中古商品を見る ¥ 750より 3.死線を越えて (上巻) 賀川 豊彦 今吹 柳乃助 (単…

ふーちゃんの訪問 賀川豊彦

「チャーチャン!」「チャーチャン!」隣の桶屋のふーちゃんがひき戸の隙から 首出して私の妻を呼んでゐる ふーちゃん 今年 二つはん頭の髪は蓬のやうに生えたら生えたで生えながしきものは垢でキンピカリ (略)Sとふーちゃん なかよしでなんでも二人で 食…

PHPで小説『死線を越えて』の復刻が決定

賀川豊彦のベストセラー『死線を越えて』が来年に4月、PHP研究所から復刻されることになった。賀川豊彦献身100年の広報委員に就任してから1年、最大のニュースだと喜んでいる。 PHPでは来年1月、神戸大学の滝川好夫著『資本主義はどこへ行くか』…

『貧民の帝都』 塩見鮮一郎

塩見鮮一郎『貧民の帝都』 (文春新書、2008年9月) 司馬遼太郎が語らなかった「坂の下の人々」〜『貧民の帝都』塩見鮮一郎著(評:尹雄大)から転載 明治維新の折、勝海舟と西郷隆盛の行った虚心坦懐の談判により江戸は無血開城され、無辜の民は救われ…

『乳と蜜の流るる郷』について 武藤富男

賀川豊彦の小説『乳と蜜の流るる郷』は『家の光』昭和9年1月号から10年12月号まで24回連載されたものを単行本として昭和10年11月6日、改造社から発行された。農村問題の解決には立体農業と協同組合による以外に途がないことを主張し、その実行…

『死線を越えて』の発刊(4)

『死線を越えて』を書いた動機を話せとの御言葉ですが、困ってしまいました。明治40年の5月だったと思います−−−そうです、私が肺病で明石の病院から三河蒲郡の漁師の離れに移った頃、独りぼっちであまり淋しいものですから、私は小説を毎日書き綴ったので…

『死線を越えて』の発刊(3)

「小説でない」「中学生の作文だ」「テニオハまで無茶苦茶だ」「散文詩だ」と、一方で悪罵されながらも、洛陽の紙価を高めて、止まるところを知らぬ売れ行きであった。 そこへ、神戸の川崎、三菱造船所の2万6000人の労働者が、未曾有の大罷業を起こした…

『死線を越えて』の発刊(2)

『死線を越えて』は改造社の処女出版であった。大正10年10月に初版が出た。 「我国社会運動の唯一の新人賀川豊彦氏が、一大感激の結果、堂々1千枚の社会小説はなる。社会改造に全身を投げ出せる一青年が、炎々火の如き恋の苦悶を排し、滔々たる唯物主義…

『死線を越えて』の発刊(1)

賀川が貧民窟に入って10年たった頃から、その体験を生かして書いた論文が、中央の知識人の間の話題にもぼってきた、ことに『貧民心理の研究』は異色のある著述として学会からも注目せられた。 そこへ沖野岩三郎が、大正7年11月の雑誌「雄弁」に「日本基…

「一粒の麦」 愛知県設楽町

3月の中部毎日新聞の地方版「東海ワイド」に賀川豊彦の小説「一粒の麦」の舞台を訪ねた記事が掲載された。三河地区の有志による運動の賜物だと考えている。三河地区ではキリスト教教会やみかわ市民生協を中心に賀川豊彦の“ルネッサンス運動”が立ち上がって…

雲水漂泊

賀川豊彦は戦前、アメリカを5回訪ね、ヨーロッパには2回行った。中国訪問は数えきれない。フィリピンにも行き、オーストラリア・ニュージーランド、南太平洋まで訪問している。戦前、最も多く世界を歩いた日本人の一人だったはずだ。 第1回目のアメリカは…

侵略者の末路

賀川豊彦を論じるというより知ってもらいたい。そんな気持ちがずっとある。僕が書く賀川の姿より、すでに書き手としての賀川がその昔、存在していて多くの共感を得ていた。 僕が感動したいくつかの賀川の文章を読むことから賀川を知ってもらいたい。次に紹介…

空中征服

賀川豊彦の『空中征服』という小説を読んだ。大正11年に大阪日報に連載したものを同年12月に改造社から出版。出版した月だけでも11版を重ねた。『死線を越えて』がベストセラーになった2年後であるから、評判を呼んで当然だったのかもしれない。 この…

涙の二等分

賀川豊彦は1919年に「涙の二等分」という詩集を発表した。伝道のため神戸市葺合新川の貧民窟に入ってまもなく、「貰い子殺し」という“商売”があったことを知り、なにより悲しんだ。「貰い子殺し」というのは貧困や何かの理由があって育てられなくなった…

賀川豊彦をデビューさせた雑誌「改造」

賀川豊彦が東京の改造社からベストセラー『死線を越えて』を発刊したのは32歳の1920年10月だった。プリンストン大学へのアメリカ留学から神戸に帰国して3年。大阪市の「有限責任購買組合共益社」と神戸市の「有限責任神戸購買組合」を相次いで設立…

賀川豊彦『一粒の麦』が再版

賀川豊彦『一粒の麦』が、イエスの友会三河支部やみかわ市民生活協同組合の関係者らによって再版された。1983年に社会思想社が発行した文庫本を最後に絶版となっていた。 「一粒の麦」は、賀川が明治40年から療養のため過ごした豊橋、蒲郡、旧津具村で…

賀川豊彦著『死線を超えて』

『死線を越えて』 賀川豊彦著スラム街に移り住んで、他人のために自己を捧げ尽すというキリスト教的隣人愛を実践した著者の自伝的小説。後半は特に、スラム街に住むさまざまな人々の生活記録ともいえ、その中での主人公の働きは万人の胸をうつことだろう。..…